何の変わりもないけれど...
二十日ばかり更新をしてないけど、ビョーキしてたわけじゃない。
意味はないけど、「生命力」みたぁなとこで、ちと落ち込んではいた。
これが限度を超えたら「鬱」ってことになるんだろうね。
弟の前のツレアイは死んでしまったのだけど、「鬱病」だった。
弟も随分苦しんだようだけど、このビョーキとの付き合いは蛙も初めてのことだったから、考えさせられることの連続。
今もって「何か分かった」てなことでもない。
蛙は思う。
人はみな自身は「正常」だと思って暮らしているけれど、「躁」と「鬱」を両極にして、その間を行ったり来たりしてるに過ぎない。
中学くらいで習った話、バネバカリのことを考えると、或る荷重がかかったとして、その「大きさ」とバネの伸びは正比例するから、「ものの重さ」を表示することができるのだけれど、「臨界量」というものがあって、或る量を超えるとバネは伸びきってしまって、もとに戻れない。
人間の神経もこのようなものなのではないか。
「臨界量」限度内なら「戻ってくる」ことはできるけれど、それを超える精神的負担を負ったら、こりゃ壊れる。
「鬱病」というのはそういうものなのだと.....
それだから、この「限界量」を可能な限り大きな値にする、自分自身にとってもそうだけど、蛙が関わる人に伝えたいことは、そういうことになる。
そんなこと言われても、どしたら「限界量」、増やせるのよって言われそうだけど、これは「人それぞれ」。
宗教も一方策だと思う。
蛙は自分で作った「蛙教」を信じているのだからね。
誰もが自分で自身の宗教を作るってとても素敵だと思うよ。
TrackBack
TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/68040/40003104
Listed below are links to weblogs that reference 何の変わりもないけれど...:

Comments