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「ぼくたちのアイヌ宣言」をみて

蛙の脳ミソはクラクラしているのである。
問題があまりに悩ましくあるのであるから…

日曜日、NHK教育TV・22時、「ぼくたちのアイヌ宣言」って番組を見た。
良心的な優れた内容のものといってよいと思う。
録画をとれなかったのが残念だけれど、いつか再放送があると思うから、それならきっと残しておきたいし、また、そういう機会があれば、みなさんにも是非観ておいていただきたいと思う。
(ぼくたちっ、てなんか「男」だけみたいやから、「あたしらの」ってのにしてくれたらなおよかったのにね)

東京に住まうアイヌの人々はおよそ千人を超えると思うけれど、その中の若い人たちが「アイヌとして生きる」、そういう想いを綴った番組だった。
もし難癖をつけるとすれば、確かに「アイヌモシリとは人間の土地という意味」で「北海道」とは「侵略者」の命名なのだということをごく控えめにはゆうてはいたけれど、アイヌに対する「和人・シャモ」の加害責任の事実やその内容などがそんなには触れられなかった点だろう。
まぁ、蛙の気に入るような内容にしたりしたら、「公共放送」に乗ったりはでけないだろうけれども…

番組では、結城庄司さんの息子さんが出ておられたり、バチェラー八重子さんの詩の話があったり、萱野さんの国会演説があったり、仲宗根の「単一民族発言」とそれに抗議するアイヌの人々のデモの映像があったり、野村エカシの国連演説があったり、相当見応えはあった。
結城庄司さんの文書やアイヌ問題については、以下のアドレスで情報は得られる。
http://www.ainu.info/index.html

それはそれとして、蛙がこの日眠りにつけなかったのは、アイヌには自身の『言語』と『文化』があるのであるから「アイデンティティ」という話にはなるけれど、「部落」には、そんなものはないのではないか、という話だ。

吉田向学さんのページと、彼から学んだ人たちのページ「ジゲ戦記」
http://rokusya.cocolog-nifty.com/blog/cat4261806/index.html
とは、ちょいちょいのぞいているのだけれど、

「運動にとって部落民の出自など、どうでもいいという風潮がとみに強いように思われますが、出自によって差別される身ならば、その出自のなんたるかを知ることは大切なことだと思うわけです。」
てな風に書かれてみると、蛙は頭を抱えてしまう。

「その出自」などというものがあるのだろうか。
ただ、恣意的に他者から「命名」されているだけに過ぎないのではないか。

アイヌには、或いは「在日」外国人などには、「アイデンティティ」は偉力(ちから)だけれど、「被差別部落」にはそんなものはない。
そう認識した上で、そのような覚悟を持って、それでもなおかつ闘っていく理論を、情念を、偉力(ちから)を、蛙は、考えたいと思っているのだ。

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