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蛙のスタンス 3

 NETで本名を使っていないのは、組織のそれなりな役を引き受けている関係上、「発言」が個人の責任に置いてなされていて、所属する組織の見解の表明と誤解されることのないように、という意味も大きいですね。
 私が所属する「部落解放同盟」については、多くの人々から誤解を受けていて、特に日本共産党からする「差別キャンペーン攻撃」の故に、悪辣な「暴力集団」であるかのような受けとめ方をされたりすることもありますし、また、同盟に理解のある人々からは「人権闘争の旗手」として「持ちあげられ過ぎて」いたりします。
 組織の外からは「等身大」な評価は不可能だろうと思います。

 蛙は「解放同盟=『農協』論」というのをゆうていたことがあります。
 「農協」も一時期、「買春ツアー」などで顰蹙を買っていたりしたこともありましたが、この組織は基本的には農業従事者の利益を眼目に置きながら福利厚生などを業務にしている団体だと思います。
 けれども「農協運動」の中では非常に優れた経験もまた多くあるのです。
 この国の「食文化」を支えるためにとか、「環境に優しい農業を」とか、広い範囲にわたって豊かな取り組みもなされてきています。

 また、「同盟」は「労働組合」にも似ていると言ってよい。

 ようするに組織の成員の「利益代表」だということですね。
 そしてそれでよいのだと蛙は思います。

 当然「玉石混淆」ということになります。
 目指すところは「石」は捨てて「玉」を磨いていこうということでしょう。

 「水平社宣言」には「吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行爲によって、祖先を辱しめ、人間を冒涜してはならなぬ。」と書かれています。
 同盟の、どっから見ても「これぞホンモノの活動家」といった人でも、大概は、その出発時点では「部落と部落民は不幸で惨めで暗いものなのだ」みたいな認識からそう遠くないレベルにあったと思います。
 奈良の山下さんもその著書の中で、そんな風に言ってたんじゃないかな。
 「物心付く頃」から私らは周囲からそのような「思い込み」を持つことを強いられて育ってきたのです。
 同盟の活動を通して「卑屈なる言葉と怯懦なる行爲」をようやっと克服することができてきた、それが「活動家」なんだろうと思う。

 で、吉田向学さんがその「部落学序説」で言われる「脱・賤民史観」の主張は実にしっくり入ってくる。

 「同盟」の仕事は、「部落大衆(この言い回し、好きになれないんだけど...)の利益を護る」、それが第1義。
 その過程で、経験上、多くの「部落大衆」が囚われている「呪縛」、「卑屈なる言葉と怯懦なる行爲」に染め上げられた自身の「生き様」を照らし返し、それを「逆転」させていく主体的な作業を一人ひとりが完遂していく、それが獲得目標。
 また、「部落外」の人々に広く真実を伝え、協働の作業を通じて、人々を捉えて離さない「部落はこわい」とかいった誤った認識を克服する自身の取り組みを訴えていくこともまた、重要な課題。

 そんなことを思っています。

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