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「部落史」の視点 7

 ある時のことですが、いつものように、同盟の集会で、「水平社宣言」が朗読をされ、粛々と「行事日程」が消化されていきました。
 会場からの「意見」を受け付ける段になって、ひとりのおじいさんが発言をされました。

 「どうかして、この『水平社宣言』の朗読をやめることはできないか。わしゃ、どうもこの『エタ』という言葉を聞く度に、はらわたをえぐられるような想いをするんじゃ」

 いつも通り、兵庫県連の書記長の応対はしどろもどろ、煮え切らぬもので、「決まっていることであるから...」といったようなものでしたし、また、おおかたの人々の「受けとめ方」は「何を馬鹿げたことを言うのか」という雰囲気でありました。

 けれども蛙は随分違ったことを考えていました。

 先に紹介をした山下力さんも、その「本」の中で言われていますし、同盟の多くの活動家は一様に「解放運動と出会うまで、どれほど怯え、卑屈になっていたか」ということを言います。
 「部落差別」はことほど左様に「分かりにくく、抗いがたいもの」として、人の心を押し潰します。不分明なままであれば、抗しようもありません。

 「水平社創立大会」に集った兄弟姉妹たちは、「我らは『エタ』などと呼ばれ、理不尽にも差別をされてきたが、なんの根拠もないこのような妄言に這いつくばる必要など何もない。今こそ、この『エタ』などという言葉を投げ返し『人間解放』の先頭に立つのだ」という固い「決意表明」を発し、それを受けて、岡崎公会堂に集った人々は、足を踏みならし感涙にむせびながら、歓呼の声を上げたのでした。

 この「感動」は、ここ40年ばかりの「同盟の運動の過程」で、かえって失われ風化してきたとも言えます。
 「目に見えてする『住環境改善』や『就職差別撤廃』『教育と生活水準向上のための支援策』などなど、勝ち取られた重大な成果」は、水平社以来の長い苦闘の歴史の上にあった筈でしたが、いつの間にか、「行政の責務」という言葉に置き換えられ、「そうあって当然のこと」という風に読み替えられてきたのです。

 「行政の責務」「そうあって当然のこと」というのが間違いだというのではありません。
 それが「運動によって勝ち取られたもの」であることが常に意識せられ、それらを踏み台に「人間解放」の「高み」にまで引き上げていく「目的意識的な指導責任」が、同盟によっては十分には果たせなかったということに他なりません。

 それだから、この集会での「おじいさんの発言」は、大切に受けとめられるべき内容なのだと思うのです。

 伝えたい「言葉」は

 「あなたの『想い』は兄弟姉妹の『想い』と共通するものです。けれども私たちは、それを逆手にとって、『差別は絶対に許さない』『差別とは徹底して闘い抜く』そして『必ず、あらゆる差別を廃絶する』という『想い』として、この『宣言』という形に表現しているのです。私たちに求められていることは、『エタ』などという妄言にひるむことなく、最大限の勇気を以て、互いに力を一つにし、心を一つにして、「よき日」を迎えるために奮闘することなのです。」

ということになります。

 蛙は、その日、そんな風に考えたことを忘れることができません。
 

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