「部落史」の視点 6
「水平社宣言」について話し出すととどまるところを知らないということもありますが、いくつか、思うところを書き記しておきたいと思います。
水平社前史として、「自由民権」の運動がありましたし、「大正デモクラシー」もあったわけで、ここいらとの関係も、もっと詳細に検討されるべきでしょう。
まず、詰まらない話かも知れませんが、「宣言」の文体についていえば、メッチャかっこいいわけですが、この当時の「社会派」のごくありふれた「表現」形式であったということは、十分には理解されてはいないのではないでしょうか。
田中正造翁の「論説集」などを読めば、「カッコよさ」では、変わるところはないし、この時代の「文章」だと、至極ありふれたものということができます。
猪野健治の「ヤクザと日本人」には、「テキ屋」の「自己解放宣言」文書が引用されていますが、多分、「水平社宣言」の物真似だろうけれど、似たような表現はありました。
「時代の雰囲気」ということはあるでしょう。
大切なことは、その「真髄」です。
人類の歴史で、屈従を強いられた側からする反撃は、蛙をわくわくさせるのですが、多くの人々にとっても想いを同じくするということはありましょう。
ローマ帝国の「シュパルタクスの反乱」を鏑矢に、歳月を経て「破産」したとは言え、一時代、「ボルシェビキの勝利」は「被抑圧民衆」の「導きの旗印」であり続けたし、「キューバ革命の勝利」は、今でも、明るく輝き続けていると思います。
「水平社宣言」は、支配者側からは「唾棄されるべきもの」であったわけで、「忘れ去られるべきもの」であったのです。
同盟は、全体としては、「嗅覚レベル」ということなのでしょうが、ここに拘ってきました。
「被抑圧・被差別民衆の自力・自闘と、それに依る『自己実現』」。
蛙には、ふだんの日常活動の実践について、「うまくいかないこと」の方が多いけれど、基点をそこにおいた運動を目指そうという想いがあるのです。
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