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「部落史」の視点 5

 「水平社宣言」は、その思想性の高さ・豊かさの故に、これまで、多くの人が賞賛の辞を書き記してきました。
 まことにその通りでありましょう。
 よく知られているように、思想的源流として、キリスト教・仏教(浄土真宗)、そして1917年の露国の革命の影響を受けてする共産主義、の三つがあげられます。

 けれども、水平社独りにその責任があることではありませんが、それら三つの「源泉」は、「運動論」としては深められることはなく、「稚拙な水準」を超えることはなかったと蛙は思います。
 とりわけ、「天皇制」について「意識」されることはなかった。
 後に、「宣言」の「起草者」・西光万吉が「右翼・国粋主義」的「転向」を遂げていく過程に、そのことはよく示されています。

 そう言ったからと言って、西光さんの値打ちを貶めるものではありません。
 この人の「内側」では「天皇制」と「ヒューマニズム」は同居していましたし、また、優れた「画家」でもあり、とても魅力的な人物でもありました。
 「時代的制約」というものです。

 「ものごと」を一筆で評価することはできません。
 いつでも、それは「何であったか」ということではなく、それを「どうしようとしたのか」、そして「どうなったか」、それは「何故か」という問いが解き明かされなければなりません。

 「宣言」はそれでも今なお光り輝くものではあります。

 ただ、その意味が十分に斟酌されているのかどうか、疑問に思うところです。

 例えば、同盟中央の「論議」で、「部落民として解放されるとはどういうことか」とか、「部落差別が無くなる時、部落と部落民はどうなるのか」といったことに答えなければならない、ということがあったように思います。

 馬鹿げたことです。

 蛙は、「目指すべきは『人間解放』なのであって、部落解放運動に参加する全ての人々が、『人類の解放』の崇高な使命を担って、その最前線に立つべく努めることは当然のこと」と考えております。

 いつであったか失念をしましたが、亡くなられた上杉佐一郎さんは、ある時、講演会で「わたしらは、釈迦やキリストやムハンマドが為し得なかった『人間解放』をやろうとしているのだと思います」ということを言われました。
 蛙は、その時、メッチャ感動したことをよく覚えています。

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