« December 2004 | Main | February 2005 »

「部落史」の視点 7

 ある時のことですが、いつものように、同盟の集会で、「水平社宣言」が朗読をされ、粛々と「行事日程」が消化されていきました。
 会場からの「意見」を受け付ける段になって、ひとりのおじいさんが発言をされました。

 「どうかして、この『水平社宣言』の朗読をやめることはできないか。わしゃ、どうもこの『エタ』という言葉を聞く度に、はらわたをえぐられるような想いをするんじゃ」

 いつも通り、兵庫県連の書記長の応対はしどろもどろ、煮え切らぬもので、「決まっていることであるから...」といったようなものでしたし、また、おおかたの人々の「受けとめ方」は「何を馬鹿げたことを言うのか」という雰囲気でありました。

 けれども蛙は随分違ったことを考えていました。

 先に紹介をした山下力さんも、その「本」の中で言われていますし、同盟の多くの活動家は一様に「解放運動と出会うまで、どれほど怯え、卑屈になっていたか」ということを言います。
 「部落差別」はことほど左様に「分かりにくく、抗いがたいもの」として、人の心を押し潰します。不分明なままであれば、抗しようもありません。

 「水平社創立大会」に集った兄弟姉妹たちは、「我らは『エタ』などと呼ばれ、理不尽にも差別をされてきたが、なんの根拠もないこのような妄言に這いつくばる必要など何もない。今こそ、この『エタ』などという言葉を投げ返し『人間解放』の先頭に立つのだ」という固い「決意表明」を発し、それを受けて、岡崎公会堂に集った人々は、足を踏みならし感涙にむせびながら、歓呼の声を上げたのでした。

 この「感動」は、ここ40年ばかりの「同盟の運動の過程」で、かえって失われ風化してきたとも言えます。
 「目に見えてする『住環境改善』や『就職差別撤廃』『教育と生活水準向上のための支援策』などなど、勝ち取られた重大な成果」は、水平社以来の長い苦闘の歴史の上にあった筈でしたが、いつの間にか、「行政の責務」という言葉に置き換えられ、「そうあって当然のこと」という風に読み替えられてきたのです。

 「行政の責務」「そうあって当然のこと」というのが間違いだというのではありません。
 それが「運動によって勝ち取られたもの」であることが常に意識せられ、それらを踏み台に「人間解放」の「高み」にまで引き上げていく「目的意識的な指導責任」が、同盟によっては十分には果たせなかったということに他なりません。

 それだから、この集会での「おじいさんの発言」は、大切に受けとめられるべき内容なのだと思うのです。

 伝えたい「言葉」は

 「あなたの『想い』は兄弟姉妹の『想い』と共通するものです。けれども私たちは、それを逆手にとって、『差別は絶対に許さない』『差別とは徹底して闘い抜く』そして『必ず、あらゆる差別を廃絶する』という『想い』として、この『宣言』という形に表現しているのです。私たちに求められていることは、『エタ』などという妄言にひるむことなく、最大限の勇気を以て、互いに力を一つにし、心を一つにして、「よき日」を迎えるために奮闘することなのです。」

ということになります。

 蛙は、その日、そんな風に考えたことを忘れることができません。
 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

「部落史」の視点 6

 「水平社宣言」について話し出すととどまるところを知らないということもありますが、いくつか、思うところを書き記しておきたいと思います。
 水平社前史として、「自由民権」の運動がありましたし、「大正デモクラシー」もあったわけで、ここいらとの関係も、もっと詳細に検討されるべきでしょう。
 まず、詰まらない話かも知れませんが、「宣言」の文体についていえば、メッチャかっこいいわけですが、この当時の「社会派」のごくありふれた「表現」形式であったということは、十分には理解されてはいないのではないでしょうか。
 田中正造翁の「論説集」などを読めば、「カッコよさ」では、変わるところはないし、この時代の「文章」だと、至極ありふれたものということができます。
 猪野健治の「ヤクザと日本人」には、「テキ屋」の「自己解放宣言」文書が引用されていますが、多分、「水平社宣言」の物真似だろうけれど、似たような表現はありました。
 「時代の雰囲気」ということはあるでしょう。

 大切なことは、その「真髄」です。

 人類の歴史で、屈従を強いられた側からする反撃は、蛙をわくわくさせるのですが、多くの人々にとっても想いを同じくするということはありましょう。
 ローマ帝国の「シュパルタクスの反乱」を鏑矢に、歳月を経て「破産」したとは言え、一時代、「ボルシェビキの勝利」は「被抑圧民衆」の「導きの旗印」であり続けたし、「キューバ革命の勝利」は、今でも、明るく輝き続けていると思います。

 「水平社宣言」は、支配者側からは「唾棄されるべきもの」であったわけで、「忘れ去られるべきもの」であったのです。
 同盟は、全体としては、「嗅覚レベル」ということなのでしょうが、ここに拘ってきました。
 「被抑圧・被差別民衆の自力・自闘と、それに依る『自己実現』」。

 蛙には、ふだんの日常活動の実践について、「うまくいかないこと」の方が多いけれど、基点をそこにおいた運動を目指そうという想いがあるのです。 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

「部落史」の視点 5

 「水平社宣言」は、その思想性の高さ・豊かさの故に、これまで、多くの人が賞賛の辞を書き記してきました。
 まことにその通りでありましょう。
 よく知られているように、思想的源流として、キリスト教・仏教(浄土真宗)、そして1917年の露国の革命の影響を受けてする共産主義、の三つがあげられます。

 けれども、水平社独りにその責任があることではありませんが、それら三つの「源泉」は、「運動論」としては深められることはなく、「稚拙な水準」を超えることはなかったと蛙は思います。
 とりわけ、「天皇制」について「意識」されることはなかった。
 後に、「宣言」の「起草者」・西光万吉が「右翼・国粋主義」的「転向」を遂げていく過程に、そのことはよく示されています。

 そう言ったからと言って、西光さんの値打ちを貶めるものではありません。
 この人の「内側」では「天皇制」と「ヒューマニズム」は同居していましたし、また、優れた「画家」でもあり、とても魅力的な人物でもありました。
 「時代的制約」というものです。

 「ものごと」を一筆で評価することはできません。
 いつでも、それは「何であったか」ということではなく、それを「どうしようとしたのか」、そして「どうなったか」、それは「何故か」という問いが解き明かされなければなりません。

 「宣言」はそれでも今なお光り輝くものではあります。

 ただ、その意味が十分に斟酌されているのかどうか、疑問に思うところです。

 例えば、同盟中央の「論議」で、「部落民として解放されるとはどういうことか」とか、「部落差別が無くなる時、部落と部落民はどうなるのか」といったことに答えなければならない、ということがあったように思います。

 馬鹿げたことです。

 蛙は、「目指すべきは『人間解放』なのであって、部落解放運動に参加する全ての人々が、『人類の解放』の崇高な使命を担って、その最前線に立つべく努めることは当然のこと」と考えております。

 いつであったか失念をしましたが、亡くなられた上杉佐一郎さんは、ある時、講演会で「わたしらは、釈迦やキリストやムハンマドが為し得なかった『人間解放』をやろうとしているのだと思います」ということを言われました。
 蛙は、その時、メッチャ感動したことをよく覚えています。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

「部落史」の視点 4 

 同盟の集会などでは、冒頭、「解放歌」が斉唱され、合わせて「荊冠旗」入場、続けて「水平社宣言」が朗読をされます。

「水平社宣言」
http://www.bll.gr.jp/siryositu/s-ta-suihei.html

「解放歌」
http://www83.sakura.ne.jp/~sonnet/sayama/shiryo/
kaihoka.html

 この雰囲気は宗教じみていて、ぼくの趣味にあわないのですが、こういった「形式」が人々を奮い立たせ、勇気づけるものであることや、改めて決意を新たにするためのものであるということはあるのでしょうから、敢えて異を唱えるものではありません。

 ところで、「解放歌」が「一高寮歌」の「替え歌」であることは、どの程度、知られているのでしょうか。
 この時代には「著作権」などという概念はなかったようですし、ソウルフラワーのページにある「解説」
http://iconogrove.com/culture/ching-dong/cd_j.html
に、
[04] 聞け万国の労働者 KIKE BANKOKUNO RODOSYA
 日本最初の革命歌は『敵は幾万』のふしでうたわれた高浜長記作詞『富の鎖』(1905年)、そして一高寮歌『鳴呼玉杯に花うけて』のふしでうたわれた築比地仲助作詞『ああ革命は近づけり』(1908年)があった。
 それから十数年後の1920年5月2日、普選運動の高まりを背景に日本最初のメーデーが上野公園で開かれた。その準備会で、一高寮歌『アムール河の流血や』のふしが選ばれて、当時池貝鉄工の労働者で社会運動家の大場勇が作詞したのが『聞け万国の労働者』。当時、労働運動に関心を持つ音楽家、作曲家は皆無の状態であったため新曲が作られる訳もなく、また、民衆が一定の教育や練習をつまなくてもすぐうたえるように、との配慮もあって既存の軍歌や寮歌に頼らざるを得ない事情があった訳だ。
 その後、『水平社の歌』(1922年)を経て、労働運動の発展と共に『インターナショナル』や『赤旗の歌』が輸入されるようになった。

とありますから、この時代の様子はそのようなものであったのでしょう。

 ついでに「もと歌」の歌詞をUPしておきましょう。

第一高等学校東寮寮歌
矢野勘治 作詞
楠 正一 作曲

嗚呼玉杯に花うけて
緑酒に月の影宿し
治安の夢にふけりたる
栄華の巷低く見て
向ケ丘にそそり立つ
五寮の健児意気高し

芙蓉の雪の精をとり
芳野の花の華を奪い
清き心の益良雄が
剣と筆とをとり持ちて
一たび起たば何事か
人生の偉業成らざらん

濁れる海に漂える
我が国民を救わんと
逆巻く浪をかきわけて
自治の大船勇ましく
尚武の風を帆にはらみ
船出せしより十二年

花咲き花はうつろいて
露おき露のひるがごと
星霜移り人は去り
梶とる舟師は変わるとも
我がのる舟はとこしえに
理想の自治に進むなり

行途を拒むものあらば
斬りて捨つるに何かある
破邪の剣を抜き持ちて
舳に立ちて我よべば
魑魅魍魎も影ひそめ
金波銀波の海静か

 別のページで
http://utagoekissa.web.infoseek.co.jp/

日本の労働歌や革命歌などが伴奏付きで入っています。

「革命歌」も「一高寮歌」の「替え歌」ということななります。

1.嗚呼革命は近づけり 嗚呼革命は近づけり
  起てよ白屋襤褸(らんる)の児 醒めよ市井の貧窮児
  見よ我自由の楽園を 蹂躙したるは何者ぞ

2.見よ我正義の公道を 壊廃したるは何奴ぞ
  圧制横暴迫害に 我等は何時まで屈せんや
  我脈々の熱血は 飽迄自由を要求す

3.我等に自由なからずば むしろ墳墓を選ばんと
  我が同胞は露国にて 絶叫しつつあらざるか
  春爛漫の花さえも 権門勢家の為に咲き

4.秋玲瓏の月さえも瑤台朱閣の為に照る
  我が子は曾(か)つて戦場に 彼等の為に殺されき
  老いたる父もいたましく 彼等の為に餓死したり

5.ああ積年の此の恨み 委か争(いか)で報いで止むべきや
  我等は寒く飢えたれど なお団結の力あり
  ああ起て、君よ、革命は 我等の前に近づきぬ

6.農夫は鋤鍬とって起て 樵夫は斧をとって起て
  坑夫はつるはしとって起て 工女は梭(おさ)をとりて起て
  森も林も武装せよ 石は何故飛ばざるか

7.我等の眥血(しけつ)下っては やがて染めたる赤色旗
  高く掲げて惨虐に 反逆すべく絶叫せよ
  ああ革命は近づけり ああ革命は近づけり
--------------------------------------------------------------------------------
 1908年の「日本平民新聞」で発表されたもの。当時誰もが知っていた「嗚呼玉杯に花うけて(一高寮歌)」の替え歌。これも「富の鎖」と共にネット販売されているキングレコードに収録されているものです。現在では使われていない綴りが多く所々読み方が解りません。(Iwakichsky)
............................................

 ソウルフラワーのコンサートでは「一高寮歌替え歌シリーズ・『水平歌・革命歌・農民歌』」としてまとめて歌われるようです。

 この時代、「歌」からも類推されるように、水平社運動と労働運動・農民運動などとは、「労農水三角同盟」などと呼ばれ、もっと直接的で豊かな「連携」があったようです。

 ここいらの史料も、十分明らかにはされていないのではないでしょうか。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

「部落史」の視点 3

 パソコン歴はそれなりに長いのですが、我流でやってきまして、それに始めたのは「マック」でしたし、いまだに訳はわからん侭なんですね。
 初め、niftyの「パソコン通信」みたいなとこで、色々発言していて、三重の田畑さんと知り合ったのもココでした。
 部落解放同盟の立場からの発言でしたから、共産党の支持者からは相当疑問をぶつけられ、ぼくの方も、力を込めて論陣を張っていたりしましたが、こちらは、「現場から」、「個人の立場から」という発言で、むこうさんは「赤旗」に書かれたことの蒸し返し、ちょっとも討論らしい話にはならなかったです。

 勿論、同盟もたくさん問題を抱えているわけですが、「問題を解決するためにどうするか」という話をしたいのに、「これこれの許し難い問題を抱えたままする同盟の存在そのものが否定されるべき」といった論調で、ウンザリさせられました。

 面白かったのは、ぼくが、「部落解放同盟は自らの存在を無くすることを目的とする組織である。部落差別が無くなれば、部落解放運動もまた終わる」ということを言った時、「そんなこと、同盟の文書に載っていない。どこにそんなことが書いてあるのか、言ってみろッ!」てな具合にからまれたことです。

 そんなこと論理の必然じゃないか。

 ぼくの問題意識として、「組織の維持が目標になってはいけない。新しい状況に対応できるように、運動のスタイル、内容、など、見通しを持っていかなければならない」というところにあって、そんなに簡単に部落差別が無くなるとも思えないが、考えておく必要はある、ということでした。

 しかし、今のところ、同盟の中に、そういう視点は皆無に近いのだろうと思います。

 ぼくらの組織は、質はともかく、相当な広さと量を持つのですから、「反差別・人権運動」のネットワークを構築するに「必要条件」は備えている。
 問題は「日常活動」として、これまでにない魅力溢れる「運動」をどうやって作っていけるのか、ということですね。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

阪神大震災10年

 今日は21日ですから、「1・17」からは少し時間も経過しました。

 当日は、夜半からの冷たい雨も残り、厭な天気でした。
 あがったのは午後の3時を過ぎていたと思います。
 「涙雨」ですかね。
 仕事に出ていたのですが、ポーアイから時間の移ろいを見ていると、太陽が東から西へ動いていくにつれて、神戸の空を覆っていた「虹」もまた、西から東へと動いていくのです。
 こういうことにはあまり「必然性」を考える立場にはありませんが、何かしら「象徴」ということを思いました。
 「自然もまた、多くの亡くなられた人々を悼むのか」....

 御蔵小学校で、同盟番町支部を中心に取り組まれてきたイベントも、10年を契機に終わるという話です。

 「鎮魂・慰霊」の意味で、あちこち、神戸では、数知れない「灯」が燈されてきましたが、それを支えるスタッフの力も限界を迎えているのでしょう。
 無くなりはしないが、「統合」ということにはなっていくのかも知れません。

 問題は、「イベント」ではなく、「そこに暮らす人々」なのですから、この後の10年をどう構想するか、そういう話になっていかなければならないのでしょう。

 今なお、神戸が抱えている深刻な事情は変わることなく、突きつけられている「課題」への「回答」が、一人ひとりに求められているのだろうと思います。

 「蛙の一生」もまた然りということになります。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

「部落史」の視点 2

 ちょっと間が空きましたが、体調もあり、雑用もあり、ということで、悪しからず...

 「勉強すると頭が悪くなる」という話もあるのですが、これは真実だと最近思うようになりました。
 「分かった風な」立ち居振る舞いをしてきて、ここまで来ましたが、「世界」や「人間」について、ますます「訳が分からなくなった」ような気分ですね。
 「分かった」ような気になっていたのは「単なる信仰告白に過ぎなかった」のだと、思うようになりました。

 でも、「何も知らず訳知り顔」で生きていく」よりは、「分裂」の極みに達した侭、右往左往している方が、ずっとあたしには似合っているようにも思います。

 はた迷惑な話ですが...

 「水平社」創立までのことを、もう少し「体系的」に整理がなされなければならないと思ったりもするのですが、西田秀秋先生は、そこいらへんを少しは書いておられたように記憶しています。
 「ムラの子どもに教育をつけていくために」(実際、それが一番重要だと皆は考えていたのですから)「ラッパを吹いて学校に引率をした話」とか、「頼母子講」をまいて『奨学金』制度を作ったり、『学校』そのものを作ったりということもありました。

 あまり重要な話としては考えられていないような気もします。

 また、「自由民権運動」との関係も、少しはふれられることがありますが、これも、十分には明らかにされていないのではないでしょうか。
 「東雲新聞」の中江兆民先生については、「新民世界」と題されたのだったか、被差別部落の側に立った論陣をはられたことがあって、以前読んだ記憶がありますし、兆民先生の大阪時代についてのちょっとした短文を読んだこともあったようにも思いますが、この時、部落の側と具体的にどんな交流があったのか、豊かな話があるはずなのに、もっとここいらへんも、書かれていかなければならないのではないでしょうか。

 あたしの力にはあまる仕事になりますし、是非、多くの方が、そういう方面での仕事に取り組んでいただきたいものだと考えていたりします。  

| | Comments (0) | TrackBack (0)

部落史の視点 1

 水平社、そして部落解放同盟の運動の歴史は、それなりの書物に記されているが、それを手にするのは、部落問題について関心のある人に限られているのではないだろうか。
 また、その「書き手」は「部落史研究者」ということになり、トータルな意味での「歴史家」とは言えないのではないかという印象が私にはある。
 全くとは言わないが、「部落問題」は「部落」の「問題」としてか、範囲が広げられることはあっても、「部落」を中心に据えた「社会問題」としてしか語られたことがなかったように思う。
 発想があまりに狭い。
 それだから、社会的に大きく影響力を持つことができなかった。
 また、運動の側も「問題を理解をしようとしない人々の側に責任がある」という思い込みが強かったし、それだから、運動の持つ「普遍的」・「歴史的」意義を過小に見積もったり、或いは、「成果」を過大に評価し過ぎたりしてきたように思う。

 「部落史」は「現代史」の総体の中で考えていかなければならないのだ。

 「解放令」と称される「太政官布告」について言えば、1869(明治2)年に「公議所」が置かれて、時のインテリや藩有力者などが集められ、この時代の「近代化」にとって差し迫った課題が色々と論議される中から出されてきたものの内の一つで、他にも「苗字」や「戸籍」のことや「帯刀禁止」とか、たくさんの「布告」がある。
 基本的には「欧米列強に伍して」近代化を図る「国の枠組み」が、ここで決定をされていったようだ。
 私は、「解放令」は「賤称廃止令」に過ぎなかったという風に考えてきて、それはそれとして正しい理解であるとは思うのだが、前にふれた浦本君の本を読んでからは、付け加えるに、もっと積極的な「部落解体攻撃」の意味をも持っていたのだということと思うようになった。
 いづれにしろ、この「公議所」について、史料が検討をされて、「太政官布告」全体を見通す作業は必要だろうと思われる。
 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

「週間金曜日」1/7のこと

 「金曜日」は、編集委員から辛淑玉さんがはずれる経緯以降、あたしとしては、あまり評価できないメディアであったわけで、今回のも、大きな不満はあるのだが、「敗戦60年、そして これから」と題された「1/7増刊号」(560円)は、戦後60年を俯瞰するにたいへん便利ではあるし、とりわけ、「政治」「経済」についての記事は、読んでおいてためになるように思われる。

 まず、「不満」から....

 「高踏的」という言葉があるけれど、あたしの不満は、落合・佐高・椎名・筑紫・本多の5氏の記事を読んで、一層その想いを強くする。
 あたしの読み違えでなければ、かくある歴史的な現実について、「自身もまた、犯罪者のひとり」という自覚がない上に、筑紫は、「行くところまで行って」の「反転」に「期待」を賭けるなどと言い、本多は「破綻するまでは駄目なのか」「その時は六〇年前よりはるかに悲惨かもしれない」などと言う、その態度は許せない。

 気分はよく分かる。
 あたしも、似たようなことを思う。

 けれども、そこにはどれ程の民衆の「犠牲」が「予定されているか」という話があり、そのことを思えば、失神するほどの恐怖にあたしなどは苛まれる。

 二人も、そう思っているかも知れないが、それならそうと「語る」べきだ。

 それでも、と、あたしは思う。
 「政治」と「経済」について、「考えてきた人」には「常識」であるかも知れないが、きちんと整理して考えてみなければならない時点に立っているのだから、「金曜日」(1/7)」は、是非とも多くの人々に読まれることを望みたい。
 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

いいわけ

 なんだかだと「言いたい放題」のことを言っておいて、後で突っ込まれて困ってしまうことは多い。

 前回の稿でも、「日の丸」と「荊冠旗」を一緒にするってどういうことよってな具合に怒られるかも知れないなぁと思って、「いいわけ」などを考えていたりする。

 無政府主義者の蛙は、「国家」なんてない方がいいと思っていたりするが、夢のような話を言っているだけではよくないに決まっている。

 「国家」を認める限り、「国旗」もまた必然だろう。
 ただ、「大東亜戦争」と呼ばれる先の戦争で果たした「日の丸」の役割を考えれば、ちぃとデザインの変更をした方がいいという人もいよう。
 「白地に『平面ガエル』」などというのなら、蛙は大賛成だが、何かしら「理由」などというものが無ければ、大方の意志の一致は得られまい。
 デザインの変更という、一見容易な「提案」も、それだから相当難しいことになる。

 それなら、「日の丸」はそのままで、きちんと「戦後補償」にこたえ、「平和国家」らしい「振る舞い」を以て、世界の、とりわけアジアの人々の理解を求めていくという方策はどうだろう。

 それもありかと思われるが、現実は「正反対」の方向に動いていて、これも困ったことになる。

 網野さんはもっと過激で、「将来、この国の名前が『日本』でよいのかどうか、論議がまきおこるに違いない」などと言っておられたと思う。

 実際のところ、人々にとって「国旗」とか「国名」がなんであろうといっこうに構うことではないはずだ。

 「荊冠旗」の話だが、最初のデザインは、水平社創立時に、ゴルゴダの丘で十字架に打ち付けられたキリストの頭を飾った「血染めの荊冠」が、当時の被差別部落の「屈辱」と「怨念」を象徴する漆黒の地に染め抜かれるというものだった。
 めっちゃ「気合い」の入ったものだったから、今でも相当の勢いをもって「胸に迫ってくる」ものがある。
 それに、その「旗竿」ときたら、青竹の先を鋭くとがらせた「竹槍」だったりした。

 部落解放同盟時代になって選択された「荊冠旗」は、その時期の「組合旗」など、「反体制」「反権力」の組織の旗に合わせる形になっている。
 ちょっと「気合い抜け」しないでもない。

 組織が「統一と団結」ということを何よりも大切にするのは、「目的を達成する」ために是非とも必要なことであるのだから、その想いを「一つの旗」にシンボライズするのもよく理解できるところである。

 人間というのは難しいもので、一旦「旗」をたてると、どうしても「それ」を神聖化してしまう傾向がある。

 そういうことには注意が必要なのではないか、というのが、前稿の言いたいところのひとつだった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

鰯の頭も...

 「鰯の頭も信心から」という台詞があって、この国では、ハナから宗教が馬鹿にされている雰囲気があるようだ。
 一神教の国々の人からは、「理解不能」な「国民性」であるとも言われている。
 そのくせ「苦しい時の神頼み」という話もある。
 まぁ、実に、いんちきな「国」だ。

 多分、この「国」では、人々に「自分」というものがなく、「寄らば大樹の陰」ということで、いつも「権力」に寄りかかっていく生き方がベストだと考えられているからだろう。
 「判断の基準」を他者に預けてしまう「生き方」は、実にラクチンなものではある。
 自分では何も考える必要がないからだ。
 
 この場合「権力」とは、「第一」に「国家権力」であるが、「自分は『反自民』だし、『反戦平和』の運動にも参加しているのだから、『国家権力にもたれかかっている』などと言われる筋合いはない」などと言う人は多い。
 「主観的」には正しいのだが、「信心」からさほど遠い距離にはない。

 例えば、「戸籍」に登録がされており、「源泉徴収」などといういかがわしい「制度」を通して「納税の義務」を果たしていて、そのことに何の疑問も感じていないとすれば、十分に「国家権力」にもたれかかっているといえる。
 ただ、この場合、積極的にこれを拒否しようとすれば、この社会からドロップアウトせざるを得ない。

 「『存在』の根拠を自分自身の内以外に持たない」という生き方は実に困難なのである。

 「権力」について第二、第三・・・という風に数え上げていくことができる。
 例えば「会社」、例えば「政治組織」、「市民団体」、それらしい「宗教団体およびその教義」、「解放同盟」もその内にあげておこう、etc.etc.
 「第一」「第二」「第三」というのは、仮にそう呼んだだけで、何も上下とか並列とか、順序よく並んでいるわけではなく、個人の意識の中に複雑に入り組んで「一体的」に構造化されているものだ。

 「『存在』の根拠を自分自身の内以外に持たない」ということでなければ、全て「宗教的」と呼んで差し支えないと思う。
 つぶさに検討してみると、そこではそこなりの「儀式」が執り行われているから、そこいらへんを眺めてみると、「成る程、宗教だよねぇ」と納得がいくはずだ。
 「シンボル」も重要な役割を果たす。
 「国家」は「日の丸」を必要とし、「宗教」は「偶像」を、会社は「社旗・社章・社是」、「市民団体」は「市民憲章」など、同盟なら「荊冠旗とゼッケン」etc.etc.

 全てが否定されるべきだと言っているのではない。
 こういうことをしっかり意識していることが大切なのだということであり、他者がそのことに気付くように働きかけるべきだということなのだ。

 「鰯の頭を信心する人」が仮にいたとして、馬鹿にされるべきではなく、それなりに「大切」につきあうべきだろうと思う。
 もし、それが駄目だと言いたいのなら、「どのように生きるべきか」を自身の行為を通して、目に見える形で指し示すべきなのだ。

 問題はそのようにたてられなければならない。

 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

どこからきたか

 前にも触れた吉田智也さんの通信で、彼が「私はどこから来たのか」と自問しながらあげている人々、中江兆民から始まる34人の名前について、一々を話したわけではないが、正月の「旧友との会合」で、「同じようなところを読んできているねぇ」ということになった。
 ぼくが読んできた中に無い名前もある。

 それで、「自分があげるとしたらどういうことになるかなぁ」ということになったのだけれど、ここで、ぼく自身を決定づけた人を、ちょっと書いておこうと思う。

 高校時代に読んだのは戒能道孝さんの「民主主義」だった。
 ここが出発点だった気がする。
 「小繋事件」は改めて現在、その意義の見直しがされているようだ。
 高校時代といえば、もう40年以上も前になるなのだなぁ。

 大学時代は「マルクス・エンゲルス」「レーニン」だった。
 
 「三人光晴」も愛読書になった。
 金子光晴、井上光晴、伊藤光晴。
 金子さんのは特にそのアナーキーな文体が好きだったし、伊藤さんのは「ぼくの経済学」の原点になる。

 「部落解放運動」に関わるようになってからは、「親鸞」がらみの本を無茶苦茶読んでいる。
 その「絶対的個人主義」(とぼくだけが名付けている思想)は、ぼくを虜にした。

 最近では、池田清彦君の「構造主義生物学」、田中克彦さんの「言語学」がぼくの思想を洗い直すきっかけになっている。
 この二人の影響で、「整理しきれない混乱」の内に今、ぼくはおかれている。

 内橋克人さんの本も、今、かんがえなえればならない大切な問題を教えてくれた。

 まぁ、本好きだから、手当たり次第に様々なジャンルを読み込んでいく状況なんだけれど、やっぱり一番重要なのは「経済学」と「人間学」という風な考え方かなぁ。

 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

「楓ちゃん殺し」について

 善良なる人々にはあまり関係がない話かも知れない。

 いくつかの「犯罪」を犯してきた蛙は、その「類型」ということについて考えることがある。

 まず、「暴力」ということであるが、餓鬼の頃には「流血」の凄惨な「喧嘩」を自分でもしてきたし、(早熟であったせいだろう、歳の割には腕力ではすこぶる付きの『強者』だったのだ。今では誰も信じないけれど...小学生の高学年の頃のこと...)、成人してからは他者の話になるけれども、いくつかの事例について「現場に居あわせる」ということがあった。

 言えることは、勿論「敗者」も相当惨めなものだけれども、暴力的に圧倒した側も、神経が酷くササクレだって、ちょっとも愉快な気分になることがない。

 「人殺し」などということは知らないが、或いは「殺すことになるかも知れない」状況に立ったことはあった。四尺あまりの刀状の鉄板で機動隊員に殴りかかったことがある。
 これは相当の恐怖だった。
 ジェラルミンの楯を打ちすえていただけだったのだが。

 「ヤクザ映画」の「殴り込み」場面で、刀で何人も切って捨てた主人公の、その手から刀が「離れない」という話があったように思う。
 これは、実際のケースの経験の取材に基づいた設定だったろう。
 蛙も、同じような話を何人もの人から聞いている。

 「人をどつく」或いは「肉体的に傷つける」行為は、行為者の側を、異常な興奮の坩堝の中にたたき込む。
 多分、アドレナリンとかドーパミンとかが、脳内で激しく沸き立っているはずだ。

 人は本来、「人殺し」など、できないようにできている。
 宮台真司もどこかでそんなことを言っていた。
 「何故、人を殺してはいけないか」という問いそのものが本来成立をしない。
 例えば、「人殺し」を目的とする「軍隊」では、非常な訓練が強要されることによって初めて「人殺しの軍隊」として成立可能なのだといった文脈だったかと思う。

 テレビドラマでも、主人公は「てめぇらッ!人間じゃねぇッ!叩っ切ってやる!」と言わなければならないし、「レイシズム」の徹底無くして「アメリカ軍」は成立をしないのだ。
 「捕虜虐待」という話も、対象を「人間ではない」と思いこまなくては可能ではない。

 奈良の「楓ちゃん殺し」事件の犯人がつかまった。
 その犯罪の態様や、犯人の行動、例えば、死体のメール画像を自身の携帯に送って、知人に見せびらかしたりしたことなどについて、多くの人は「理解不能」のように言う。

 そんなことはない。
 実に「分かりやすい」行為なのだ。

 自身を押し流してしまうかも知れない急流の向こう岸まで、飛び石が続いている。
 犯人は最初の跳躍によって、一番目の石に飛びつく。
 急流の勢いは、一層、恐怖を誘う。
 向こう岸までたどり着かなければならない。
 その向こう岸は、もしかすると「地獄」なのかも知れない。
 跳躍は、自身の身体能力の発現であり、その成功は、自身をエクスタシーの頂点にたたしめる効果を持つ。
 二番目の石、三番目の石と「跳躍」は続く。
 岸は、飛ぶ毎に一層自分から遠ざかっていくかに見える。
 恐怖に震えながらも、快感は自身をとらえて離さないし、エクスタシーは更に倍加する。
 犯人は既にこの時、気付いている。
 いくつの石を飛べば終わりが来るのか、そもそも終わりがあり得るのか、向こう岸は「地獄」なのか、自分自身にも本当は分かってはいないのだということに...
 無意識のうちに体が恐怖にひしがれ、悲鳴を発している。
 誰か、或いは何かが自分を救ってくれて、「向こう岸」へと安全に渡してくれないだろうか。
 それは「無意識」なのだが、自身の行為を一定の方向へ結びつけていく。
 「逮捕」されたがっているのだ。
 それが「救い」なのだから...
 今回のケースで、「犯人逮捕」に至らなかったとしたら、もう一度、彼は跳躍しなければならないし、それは、新しい『幼児殺し』ということになる外ない。

 このパターンでは、犯人は自身が「許されぬ罪」を犯していることを自覚している。

 政治家の「一億円授受事件」などは、「罪」の自覚はあるかも知れないが、何度も同じ橋を渡ってきたのだし、誰もがやっていることなのだから、「罪を犯す」ことについてのエクスタシーがない。
 それだから、犯罪のパターンがそもそも違っている。

 問題は、こういう事件では、犯人が「何故、急流をしか見ていないのか」ということだ。

 普通、一般に、人は、このような種類の「罪」を犯すようにはできていない。
 「急流」があることを、「そこを飛ぶ快感があること」を知らない。
 「犯罪」の経験がないからだ。
 そんなものは勿論、ない方がいいに決まっている。

 「急流しか見えない」人間を、救うことが可能なのか、いつ、どうやって...
 最初の跳躍の引き金はなぜ引かれたのか...

 問題は、そのように問われているのだと蛙は考える。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

自然の中で

 税制調査会の動向も、現状のこの国の財政状況からは注目されるところで、調査会を代表される石 弘光さんの想いは何辺にあるか、本音の所を聞いてみたい気持ちがあります。
 この人と、特に面識があるわけではありませんが、著書からは誠実な方だとは思えるのですね。

 奥付の「経歴欄」からすると、世界の自然環境について、いくつかの著作を通じて発言をされてきた石 弘之さんとは、ご兄弟のように思われます。

 弘之さんの方は、現在、アフリカはザンビアの「大使」に赴任されているようです。

 こういう人たちとお友達であれたらいいのになぁって思うことがあります。
 いっぱい教えて貰うことがあるからです。

 今日は、旧友のK氏を訪ねて、楽しい一日を過ごすことができました。
 棚田の復元、失われていきつつある「生物多様性」を守っていくために、しぶとく抵抗していく作業、必ず「未来につながる」はずだという想い、その努力に頭が下がります。

 ぼくなどは「口先ばかり」で実践がともなわないという非難にさらされていて、「今に見てろッ!」とは思っていても、「想い」ばかりが空回り、というところです。

 「自然」は素敵です。
 その中に包まれている時間は「至福の時」なのです。

 この国の豊かな自然を守っていく、そういう「作業」に、もっと多くの人々の力が求められているのだなぁということを改めて考えた一日でした。

 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

「呆け」の薦め

 母親は本年は「米寿」。
 「米」という字は「八十八」だからなんだそうで、ついでに「百」から「一」、つまり「横棒一本」取ったら「白」になるから、「九十九歳」を「白寿」というのだそうです。
 初めてこの話を聞いた時は、「なるほど、昔の人は面白いことを言うもんだなぁ」など、感心をしたり、「駄洒落だよねぇ」などと笑っていたりしましたが、母親には「その歳」になるまで、元気にいてもらいたいと思うようになりました。

 そのまたついでに「古希」と「喜寿」ですが、

〔杜甫「曲江詩」中の「人生七十古来稀」の句から〕七〇歳をいう。

〔「喜」の字の草体が「七十七」と分解できるところから〕数え年の七七歳。

 母親も歳相応に呆けてきていますし、体もあちこち「痛い、痛いッ!」ということらしいですが、それなりに元気ではあります。

 私の方も相当呆けがまわってきて、例えば、吉田智也さんの通信に、堀田義衛さんの「海鳴りの底から」の話が出ていたりしまして、ふと気付くに、確かに随分以前、それを読み、強く感動した記憶があるのに、一体何の話だったか皆目思い出せなかったりしますね。

 考えていたのは、「呆けてきて何でもかんでも忘れてしまうのは、はた迷惑には違いないけれど、実に『精神衛生上』良いことなのではなかろうか」ということで、母親も私も随分体に「ガタ」は来ているけれども、「大病」を病まないのです。

 「忘れてはいけない大切なこと」はある筈ですが、「生きて闘う」ことが一番なわけで、積極的に「呆けること」をお薦めしたいと思います。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

「新年」に

 歳が明けると言っても、何ごとかに変わりがあるわけでもなく、蛙には何の感慨もあるわけもないのですが、取り敢えずの「区切り」として、「また、がんばろうかなぁ」など思ったりもしています。

 蛙が「酉年」というのもちょっと変な話かも知れないけれども、「歳男」ということになるらしい。
 「還暦」ということでもあるらしい。

 去年は、「韓流」(ハン流と呼ぶらしい)が大ブレークでしたが、「冬ソナ」と「ユンソナ」の区別もつかない蛙は「?」ということで首をひねったままでした。

 「ヨン様」と「チェジウ」のドラマがあったようで、ツレアイや娘はちょっとは見ていたようです。
 凄かったみたいですね。
 蛙の年代からすれば、「君の名は」のようなものだったのかしら、など思います。

 全然「的はずれ」な理解かも知れないですが、一方で「戦争になだれ込んでいくのかも」という不安を抱えてする「民衆」の側の「健康な反抗的反応」だったのではないでしょうか。

 ともかく、隣の国と仲良くなることはよいことだし、歓迎すべき雰囲気ではあるのでしょう。

 それが、「朝鮮半島」と「大陸」に対する「我が国の犯罪の歴史的責任」を隠蔽する作用につながるかどうかは、私たちが引き受けていかなければならない「仕事」ということになるはずです。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« December 2004 | Main | February 2005 »